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火の女

今日は、夫と甥っ子の誕生日。
で、ありながら祖母の命日。

おばあちゃんには、悔いる気持ちが大きすぎて
おじいちゃんを語るように、上手く語れない自分がまだいる。

亡くなって3年目。
この頃、人格が崩壊する前の
幼い頃から18まで一緒に過ごしたころの彼女の方を
思い出せるようになってきた。

旅行好きで、いつもきれいに身だしなみを整え、きれいに化粧していた祖母。
おじいちゃんとは、犬猿の仲(申年の祖父&戌年のの祖母)で、
ひとたびケンカすると、決して祖母も祖父に負けず劣らずの勢いで
食って掛かる女性だった(笑)

母に対しても、若かりし頃は結構、辛らつな事を言っていた節もある。
気性の激しいまさに



『火の女』



もしくは、女猪木。w
だったなあと、元気だった頃の祖母は。
母は、娘にはなれなかったけど、
少しずつ、人格が崩壊していく中で
母は、祖母の母になっていた。

そんな祖母の出地というのが、
父ですら、詳細を知らない。
多分、プライドの高い祖母は一切そういうことを
家人には、話さなかったのだと思われる。

90過ぎのあの世代で、高等女学校に通い
水泳を習っていたと言うぐらいだから、
かなりのお嬢なのかと子供時分には、
思っていたのだけれども。

祖父の下へ嫁に来たときの話を彼女は



「犬猫を貰ってくるように、顔もどこの誰だかわからないこんな辺鄙な土地にきた」



と言っていた。
昔の人ってこんなものなのかな?
祖父は祖父で、貧しい家の出でお寺に里子に出されて
かの地へ渡ったのだという。
そして、嫁に来た先には、
祖母を追い出そうとする女の影ありだの、
せっかく授かった子どもを亡くしてしまったりと、
ものすごい波乱万丈の人生を歩んできた女性みたい。

祖父の方は、さらに謎に包まれてるんだけどね。w
祖母は、とりあえず良く似た妹さんがいたという記憶はある。

父の話では、祖母はお妾さんの子どもではないか?
ということなのだけれども、多分、本人なにも語ってないので
そこらへんは、まったくの謎なのだ。w

まだ祖母を偲ぶには、
罪悪感を引きずってる私なのだが、
夫とケンカしている時に、
私は『火の女』の血を感じる。www

血は、やっぱり水より濃いんだなあと
おばあちゃんの命日に思う。


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さようなら

昨日、N山さんのお父さんが亡くなられました。
思ったより、全然早い。早すぎる。

年末から臥せってるようだったのですが。
金曜日だったか、夕方に階下で奥さんにお会いした時の様子は、ちょっと緊迫した面持ちでは、あったのですが・・・

今日、友人と外出して昼過ぎに戻ると「忌中」の紙が、玄関先に貼ってありました。



胸が、ギューンってなりました。



とりあえず、実家に電話し「ご霊前」は、いつお持ちすべきか?とかそんなようなことを確認し、お香典をお渡しに行ってきました。
宗教の関係上、ルールがよくわからないのと、子どもがいるのでお通夜や告別式は、いけないので最後のご挨拶が出来ればと思って。

玄関に出迎えてくれたのは、奥さんで疲れたんでしょうね。
青白い表情で、でも努めて明るく振舞おうとなさってて・・・
挨拶してるうちに、私のほうが感極まってしまい涙で言葉を詰まらせると



「でもね、いい顔でしたよ。ありがとう。心配するとねいけないと思ってね。」



と、香典を渡した私の手に手を重ねて、労わりの言葉をかけてくれるんです。その手が、とても温かくて。




「N山さんも、看病お疲れ様でした。無理しないでくださいね。」



というのが、精一杯だった。
そんな私に



「これからも、よろしくね。戻ってきたら、線香上げて頂戴ね。」



ただ、近所の人なのに。
親戚でも血縁者でもないのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。
でも、それはやっぱりN山さん夫婦の人柄の温かさだったんだろうな。

もう、階下に置いてある自転車で畑に向う人もいなくなるんだという寂しさと、末期がんの苦しみから解放されてよかったのかもしれないと言う気持ちと・・・なんだか、判らない切なさと。




昔かたぎの頑固オヤジでした。
がっちりと日焼けした体は、健康そうだったのに。
毅然とした、でも優しいお父さんでした。

末期がんは、苦しかったと思います。
時々、奥さんが「飴なら口に入ると思ってたんだけどねえ。お子さんに食べさせてあげて。」と、その言葉からお父さんの衰弱振りを想像させられ、胸が締め付けられる思いだったから。
それを看ていた、奥さんもとても辛かったと思う。

善く生きている人は、やっぱり神様に愛されてしまうのかな?




だから、今は楽になれてよかったですねって、そしてありがとうって、いいたい。

金なら1枚銀なら5枚

今度、某大手お菓子会社のM工場へ見学へ行こうと、企画がでた。


申し訳ないが、「不参加」にさせていただいた。


理由は・・・
若かりし頃、いや20代のほとんどをそのM工場のよこっちょに住んでいたから。

彼と・・・

でもって、推測。
彼は、きっと今もそこに(一人で)住んでいる。
それを思うだけで、泣きそうになる自分がいる。

多分、人生に於いて一番思い入れのある男性である。
最後の最後まで、彼は僕に結婚しようとは、言わなかった。
僕は、最後に彼と別れる1年前に婚約不履行っていう荒行をやってのけた
こともあり、自分の両親に対する申し訳なさや自分にけじめをつけなくては、という思いで、彼と3度目の本当の別れを決めたのだ。

なんだかんだの腐れ縁で、20代の間、くっついたり離れたり、
離れてても、一緒だった。
優しすぎる男で、いつもその煮え切らなさにヤツのもとを飛び出しては、
ヤツの待ってる場所に帰って行っていた。

ヤツは、両親が離婚していて、中学の頃から母親が、新しい男性と内縁関係になり、その新しい父親と何度かもめた事もあったりして、ヤツは結婚に対する不信感、不安感というのが物凄くあったのだと思う。

僕が、友人の離婚や友人の両親の離婚の話を口にすることを非常に嫌ったのを覚えている。

30を目前にした、ある日彼が仕事に出たあと、置手紙をして僕も家を出た。
M工場横の古いマンションを。

ああ、自分の若気の至りのせいで、今になってこんな切ない想いをするなんざ思いもいなかったあるよ。ああ、ドス黒い過去。

みなさん、すみません。
以上のような理由で私は、参加できません。



だって、あの場所は僕が、墓場まで持っていく想いがある場所だから。



ああ、そういえばチョコボールって金なら1枚、銀なら5枚って昔から変わらないけど、金銀を引き当てること自体が、あんまりなかったんだよね。
でも、ここ最近金銀を引き当てることが、多い息子たち。
きっと、昔より金銀の枚数が増えてるんだろうな。
缶詰をもらえる日が、夢ではなくなりそうだ。





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